えんがわという場所からお母さんとおそとをみていた。 おそとは雨がやむことなくふり続いている。 お母さんに聞くと今は、つゆという季節らしい。 「降り止まない雨は嫌いだわ。永ちゃんはどう?」 「ぼくは、あめもきらいじゃないよ。きもちいいし」 「そう。子供はやっぱりそう思うのかしらね」 「お母さん、それよりまたお歌うたって?」 「仕方ないなぁ。じゃあこっちおいで」 お母さんの腕の中に行き、お歌をきく。 ぼくはお父さんとお母さんがどういうお仕事をしているかはっきりとはしらない。 けれど聞くとお歌を作ったり歌ったりしているらしい。 だからぼくはお母さんが口ずさむお歌が大好き。 みょうに耳に残って、すきとおるお母さんの声が大好きだった。 でもある日、ぼくはその声を聞くことができなくなった。 最後にお母さんと話したとき、印象に残った言葉。 「大きくなったら私たちと同じ道を歩んで。あなたなら私たちの想いを乗せた歌に気づいてくれると信じてるから」 その時は意味が分からなくて、首を傾げてお母さんにどういうことか聞き返した。 でもそれ以上は話してくれなかった。 そしてそのまま僕は二度とお父さんとお母さんに会えなくなってしまったんだ。 some day〜伝えたい想い〜 非常に蒸し暑い不愉快感が体を襲い、目が覚め一日が始まった。 ここ最近、梅雨という俺が最も嫌いな時期に突入したようで毎朝、こんな不愉快な気分で起床している。 今、一人暮らしをしているこの部屋は大学から近く、家賃が安いため借りているのだがこれがまた奇跡的な部屋で、夏は暑い、冬は寒いと季節に決して逆らわない。 住んで一年、家賃が安い理由を俺は存分に知った。 面倒くさいし大学から近いという理由で引越しまで踏み切っていない。 暑い、寒いじゃ人はくたばらないし、人生適当に生きている俺は寝る場所さえ確保できれば問題はない。 だから蒸し暑さには正直、慣れたわけなのだが不愉快感の理由は別にある。 「去年もこの時期だったよな……」 俺はガキの頃から決まった夢を見る。母親に捨てられたときのことを…… 当時はそんな風に理解していなかった。いや、幼いながら信じようとしなかったんだ。 でも俺を引き取ってくれた伯父がそう教えてくれたから、そうなんだと小さいながらに理解しようとした。 伯父の下にいた時は肩身の狭い思いをして、ショックもあったけれど高校に進学すると同時に出て行ったため、それ以来両親がいないことに劣等感も感じていなかった。 でも多分、この頃からだと思う。人生に対して何の魅力も感じなくなり、ただ毎日を過ごしていくようになったのは。 高校も大学もダチと同じだからという理由で決めたし、部活も同じ理由だ。 将来の夢も持ってないし、大げさに言うと明日、死神が来て命を分けろって言われたら差し上げても別に構わない。 まぁそんなもんだから、他人から見ればさぞつまらない人生を送っているように見えるんだろうな。 「……雨?」 頭がようやく起きだして、ふと外から聞こえてくる音に耳を傾ける。 定期的に雨音が聞こえてくるため、まだ強くは振り出してないようだ。 ただでさえ雨というのは憂鬱な気分にさせると言うのに、変な夢を見たせいで効果は二倍だ。 「まだ時間あるし……ちょっと軽く……」 布団から起き上がり、リビングに行く。 そしてソファーに寝転がっていたギターを手に取った。 ギターがソファーにあることに疑問抱いていると、ふとテーブルにある何本もビールの空き缶が転がっているのが目に入った。 「……俺、酔っ払ってたのか」 でなければギターを放置してないだろう。 でも俺自身は布団で寝ていた。どうやら本格的に酔っ払っていたらしく記憶にまったくない。 誕生日が春先のため、同級生より先にお酒が許される年齢にはなったのだが、どうやら酒癖は良くないみたいだ。 これを今後の教訓にしたところで、ギターを軽く弾き始めてみた。 人生適当に生きている俺の唯一の趣味と言ってもいいのが音楽。 路上ライブもやるし、知り合いのバンドに飛び入り参加したりとか結構踏み込んでやっている。 母親最後の言葉だから……っていうわけでもなく、自然とギターに興味を持ちやり始めたって感じだ。 一応、その言葉が気になったから親戚に聞いてみたところ、両親はテレビで出るほどの売れていたわけではないがユニットを組んでいたらしい。 俺を捨てた両親が許せないらしく、またミュージシャンという夢を追っている弟夫婦を好きじゃなかったみたいでどんな歌を歌っていたとかはもちろん、名前すら知らない。 まぁこれと言って興味があるわけでもないんだけど。 隣人に迷惑がかかるため、抑え気味でギターを弾いていると、玄関の方から物音が聞こえてきた。 俺のギターの音以上の騒音を出している人物を安易に想像でき、この安らぎの一時を邪魔されたくないから居留守を使いたいところだが、中にいるのは向こうも分かっているだろうからこのまま扉を叩き続けること間違いはない。 そんなことされたら隣人に今後白い目で見られるのは目に見える未来だろう。 今後、問題なくここで暮らすためにも重い腰を上げ、玄関へと向かった。 「はいはい、今でますよ」 鍵を開け、チェーンを外して扉を開け……ようとしたが、俺が手にかける前に扉は開いた。 「永吾、おそ〜い! ぱっぱと出てよ!」 目の前に現れたのは茶髪のセミロングで真ん中から綺麗に分け目をつけてデコを出している、俺と身長差が……あまりない女。 自分の名誉のために言っておくが俺が小さいんじゃない、目の前の女が大きいだけだ。 流石は小・中とバスケ部だっただけはある。くり返し言っておくが俺が小さいわけじゃないからな。百七十三センチなんて普通だろ? …………で、その女が頬に空気を溜め、膨れっ面で文句を言ってくる。 「もう、居留守を使おうとするなんて最低だよ!」 「あのな奈々、これぐらいが普通のスピードだ」 「嘘だ。ギターの音が聞こえたもん。無視しようとしたでしょう!」 「あー分かった分かった。良いから、まず中に入ってくれ。近所迷惑だ」 いくら隣が根暗な浪人生で仲良くはなりたくないとはいえ、苦情を出されたり睨まれでもしたら後味が悪い。 と言うわけで大学に行く時間もあるため、奈々を部屋に入れた。 そもそも俺はまだ部屋着のままだし。 別にやらしい気持ちなんてないからな。朝からそんな元気ないし。 「ついさっき起きた感じね。朝食は?」 「まだ。あ、作らなくていいぞ。コンビニで買う」 「どうしてよ?」 「腹を壊したく……」 最後まで言うことができず、クッションで口を塞がれた。 言いかけた分で理解できると思うけど、奈々は非常に料理が下手だ。 付き合って一年が経つがその期間中、そのレベルの高さにはある種、天国を見た気分にまで陥るほどだ。 性格も明るいが、これがまたお節介やきで非常にめんどくさい。 そんな女となぜ付き合い続けているかというと、これも同じ理由なのだがダチの影響だ。 中学校からの付き合いであるそのダチが彼女を作ってから性格が変わったため、俺も作れば変わるかなという非常に安易な考えから、作ってみた。その頃、相手は正直誰でもいいやって感じで、ズルズルと続いているといった具合だ。 まぁそうは言っても続いている理由はやっぱ底抜けの明るさからだろう。 俺がこんな性格だから一人でも賑やかなぐらいがバランスが取れていいのだと思う。 「で、外どうなんだ?」 「どうって?」 「雨降ってたんだろ?」 着替えながら外を窓越しに覗いてみる。コンクリートが薄らとしか濡れてないことからそんなに強くはないようだ。 よく見たら外から来たというのに髪や服がそんなに濡れてもいないようだし。 「えぇ、でも小雨程度よ。ちょっと強くなりそうだけど」 「そうか。じゃあ早めに行くか」 「どっちでもいいわよ。ここから近いし」 確かに近いから雨が降っても関係はないんだが、やっぱり本降りの中、傘差して行くよりは落ち着いているうちに行っといた方がいい。 それにコンビニで朝食を調達しなくちゃいけないし、早めに出ても問題はないだろう。 自分で作っても良いのだが、奈々がいるときは料理はしないと決めている。 理由は簡単、手伝おうとするからだ。 奈々が台所に立った瞬間、料理が変貌するといっても言いすぎではないだろう。 そんなわけだから着替えも終え、いい加減腹もすき始めたから朝食欲しさにバッグを片手にさっさと家を後にした。 朝からしっかりと講義を受け、眠気がピークの中、天国ともいえる昼休み時間がやってきた。 昼はいつも大学の食堂で奈々と中学からの付き合いのカップルと食べている。 いつも数人流動性だが、この四人は固定していて今日は珍しく四人のみで食堂に入った。 「今日は四人か。珍しいな」 「そうだね。皆、どうしたのかな……?」 「どうせ午後の講義は試験さえ受ければ単位もらえるからって高括ってんだろ」 「そっか。大丈夫なのかな、試験は」 「直前は泣きつかれること間違いなしだな」 俺と奈々はバカップルの会話を後ろから聞いていた。 俺はこのバカップルと中学、高校と一緒だったから二人の会話を毎日聞いてきた。 いや、普通に話しているようには聞こえるだろうが、もう雰囲気が見ているだけでこっちが目を背けたくなるぐらいだ。 電車とか公共の場所でいちゃいちゃするバカップルとは系統が違うが、二人とも仲が良い自覚がないだけに逆に痛い。 現に幼馴染らしいから一緒にいるのが普通なんだろう……まぁこいつらのことはどうでも良いんだが…… 二人の世界を作って会話しているバカップルを無視し俺たちは別の列に並ぶことにした。 まだ刻は正午をまわっていないのだが食堂は多くの学生で賑わっており、三箇所ある受け取り場はどこも列を作っていた。 幸い、俺と奈々が並んだ列は他よりスムーズに進んでいき、バカップルより先に昼飯にありつくことができた。 しかし人数が多いだけあって席も中途半端に埋まっていて、四人座れるスペースが中々なかった。 何とか近場で探したが結局、食器返却スペースから最も窓側の遠い席に座るハメになった。 少しでも近いところへ、と思うのは皆、考えることは一緒だということだ。 「あ〜まだ雨降ってるんだ」 席に座って、窓と向かい合う側へ座った奈々の言葉に首だけまわして外の状況を見る。 奈々が言ったとおり、外は目に見えて雨が降っていた。 その勢いは止むどころか朝より勢いを増しているようだ。 「今日は一日中雨みたいだな」 「あ〜あ、降り止まない雨は嫌いだな」 急に奈々の言った言葉に体が反応し、グッと胸を締めつけた。 懐かしいような、でも切ないような……何ともいえない感覚が襲ってきた。 わけが分からないが苦しさを紛らわすために奈々との会話に意識を持っていった。 「なんだ、その遠まわしの言い方は」 「雨自体は嫌いじゃないのよ。降り止まない雨が嫌いなの」 「ようは雨が嫌いなんだろ」 「違うってば。たまに降るのはいいの。ただ一日中降り続けるのが嫌なの。どうして分からないかな」 「――ッ!」 不快感から頭痛に代わり、それと同時に胸も締め付けられる。 まるで体がこの会話を拒否しているように、意識を持っていかれそうになる。 頭痛が酷くなる一方であまりに辛くなってきて、イスから崩れ落ち床に蹲った。 「ちょっと、どうしたの!?」 奈々が駆け寄って揺すってくるのも、周りの学生がザワついてる声も徐々に分からなくなるほど頭痛が酷くなり…… そして正午を告げる大学の鐘の音が聞こえたのを最後に意識が遠のいていった…… ◇ 「ねぇねぇ、お母さんとお父さんがテレビにでてるよ」 お母さんに言われてしゅくだいもほどほどにテレビの前でまっていたら、お母さんとお父さんがテレビの中でお歌を歌っていた。 いつも口ずさんでくれる優しい声がテレビから聞こえてくる。 「これ、ぼく大好きなんだ」 「そう。嬉しいな。早く永ちゃんも歌詞が理解できるほど大きくなって欲しいわね」 「そうだな。そうすれば……」 「お父さん? どうしたの?」 お父さんが急にお酒を飲みながら暗いかおになった。 でもぼくが話しかけるとニコっと笑って、頭をなでてくれる。 「なんでもないよ。それより永吾は音楽好きか?」 「うん、大好き!」 「そっか。じゃあ永吾も将来、ミュージシャンになれよ」 「みゅーじしゃん?」 「詩を書いたり、曲を作って、歌にし、聞く人たちを幸せにする職業さ」 「つまりお父さんとお母さんってことだよね」 「ん、まぁ……一応な」 真っ直ぐに見ていたお父さんの目が少し、変化してぼくから目をそらす。 不思議にお父さんを見ていると隣にいたお母さんが笑ってぼくの手を握ってきた。 「永ちゃんなら立派なミュージシャンになれるよ」 「うん! ぼく、お父さんやお母さんみたいなみゅーじしゃんになる!」 ぼくはいきおいよく立って、強く思った。 そんなぼくをふたりで笑ってみていた。 でもふとお父さんの顔から笑みがきえ、見たことのない顔に変わった。 お母さんと何か声には出さないけど、目と目で会話しているように見える。 そしてお母さんがうなづいて、お父さんがこんどはぼくの方を見てきた。 「永吾、大事な話があるんだ。聞いてくれるか?」 「なに? どうしたの?」 「実はな、お父さんとお母さんはちょっとお仕事で遠くに行かなきゃいけないんだ」 「え? とおくって?」 「具体的に言うことはできないけど、遠くにね。でも永吾を連れていくことは出来ないんだ」 「え、どういうこと?」 ぼくの聞いてることにはちゃんとこたえず、話をすすめていく。 なにを言っているのかぼくの頭じゃ、ぐちゃぐちゃしてきてわからなくなってきた。 それでもお父さんは話をつづけた。 「永吾は俺たちがいなくても大丈夫。強い子だからな」 「お父さん?」 お父さんはもうなにを言ってもはんのうすらしてくれずに、お酒を飲みはじめた。 なにを言いたいのか分からないまま、うつむいているとお母さんがそっと抱きしめてきた。 「永ちゃん。きっと会いにくるから。永ちゃんも覚えてたら私たちのこと探して欲しいな」 「やだよ。ぼく、お母さんとはなれたくない」 「ううん、ちょっとの間だけよ。すぐ帰ってくるから」 「本当?」 「うん。だから……」 「お母さん? 泣いてるの?」 ぼくをつよくつよく抱きしめて、お母さんは泣いているようだった。 やっぱりぼくは分からない。 なんでお父さんがさびしそうな顔するのか、お母さんが泣いているのか……ぼくが子どもだから? ぼくが早くおとなになれば、ふたりのこと笑わせれるのかな? ぼくが“みゅーじしゃん”になれば、幸せにできるのかな? ぼくが………… 「ねぇ、お母さん」 お母さんからへんじはない。 「ぼく、がんばるから。がんばってみゅーじしゃんになる。そしてお母さんのこと幸せにしてあげるから」 「え、永ちゃん……」 お母さんははっきりわかるぐらいに声に出して泣き始めた。 「だから泣かないで、お母さん。ぼく、お母さんたちに会いに行くから」 「永ちゃん……ゴメンね……」 お母さんは泣き止まず、ひたすらゴメンとくり返した なんであやまってるのか分からなかったけど、お母さんに泣き止んで欲しくてぼくも同じように首に手をまわして抱きついた。 これがお父さんとお母さんとすごすサイゴノヒトトキだということを今のぼくはわかっていなかったんだ…… いつの間にか寝てしまっていたらしく、気づいたら朝になっていた。 両手で目をこすり、ぼやけて見えるのをなおしてまわりを見る。 まだかんぜんにおきてはいない頭でもいつもとちがうと感じとった。 「あれ?」 いつも目がさめるとお父さんとお母さんの話し声やおいしそうな朝ご飯の匂いがしてくるのに今日はどちらもなかった。 「お母さん? お父さん?」 シーンとしている中、よんでみるけど二人の返事はない。 返事はないけどくり返し、くり返し、呼んでみる。 それでもやっぱり返事が来なくて目になみだが溜まってきたとき、げんかんの方からなにか音がした。 「……お母さん? お父さん?」 げんかんにいると思って走っていったけど、誰もいないと思ったのとドアを開いたのはほぼ同じだった。 そして入ってきたのはお母さんでもお父さんでもなくまったく違う人だった。 でもぼくはその人を知ってた。 「永吾!」 「おじちゃん? どうして?」 ぼくのことを見て、肩を強くおさえてきた。 おこっているのかこわい顔して、頭をぽんぽんとたたき、良かった無事で、と言ってきた。 おじちゃんに会えたことでホッとして、あらためてお父さんとお母さんがいないことを思いだした。 「おじちゃん、お父さんとお母さんがいないんだ」 「永吾、今日からお前は俺の家で暮らすんだ」 「えっ?」 とつぜんのおじちゃんの言葉に頭の中がまっしろになった。 昨日から分からない話がばっかり…… 「行こう、永吾。あいつらのことは気にするな」 「ねぇ、お父さんとお母さんは!?」 「……永吾。お前は捨てられたんだ」 ステラレタ? ダレガ? ダレニ? 「今朝、お前の両親からの手紙が郵便入れに入っていてな。永吾を預かってくれだと」 ドウイウコト? ボク、ナンデステラレタノ? 「だから夢ばかり追うのはやめろって言ってたんだ。挙句の果て、息子を捨てるなんて……」 「おじちゃん……ぐすっ……それは違うよ……」 しぜんとでる涙をこらえて、声をだす。 「ん?」 「お父さんとお母さんはみんなを幸せにしてるんだよ?」 きのう、決めたばかりじゃないか。 ぼくはお父さんとお母さんみたいなみゅーじしゃんになると。 きっとわけがあるはず。 それに昨日、言っていた。すぐに帰ってくるからって。 ぼくからも会いに行くって。 「ぼく、強くなる。お父さんやお母さんにまた会うために」 「永吾……」 おじちゃんはクスッと笑って、優しく頭をなでてくれた。 この時、遠くの方で聞こえた鐘の音がすごく印象にのこった…… ◇ 妙な夢を見た。 いや、夢というと少し違うだろう。 多分、忘れていた記憶というやつだ。 伯父さんの家では別に虐待されていたわけでもないし、むしろ優しくしてもらったけど、自分から肩身の狭い思いになっていた。 やっぱり申し訳ない気持ちも歳を追うごとに出てきたし。 そういった気持ちから、両親に捨てられたときのことを忘れていったのかも知れない。 今朝のことといい、俺は両親のことに対して決着をつける時期に来てるのかも…… そう思ったらするべきことは一つだった。 「……ッ……ここは?」 自分の中で考えがまとまり、頭と意識がはっきりしてきた。 目を開くと一番最初に映ったのは奈々の顔だった。 「奈々? 俺、どうしたっけ?」 「倒れたのよ! どうしたのかはこっちが聞きたいわ!」 凄い剣幕で怒ってくる。 まだ頭が重いから大声を出されると辛いんだけど……と思いながら自分の状況を分かる部分でまとめてみると…… どうやら自分の部屋に運ばれたらしい。大学の医務室じゃない辺りが疑問だが。 「よぉ、目覚めたか」 どうやら奈々だけじゃなく、親友とその彼女もいたようだ。 「来てたのか」 「来てたっていうか運んだの俺だし。感謝しろよ」 午後の講義をサボる口実に使われたんだろうけど、一応親友には感謝しておこう。 さて、これからやると決めたからには早速、準備に移りたいところだが先ほど自分で決めたことを親友には話しておこうと思い、奈々たちには一度部屋を出てもらうことにした。 「奈々、悪いけどアイス買ってきてくれるか?」 「えぇ!? ……まぁ、病人だしいいけど……」 後はどうやって親友の彼女にも行ってもらうかを考えていると、親友が助け舟を出してくれて二人で買いに出かけていった。 扉が閉まる音を確認して親友は鋭い目を更に細め、半身を起こしている俺を見下ろしてきた。 元々長身の親友はその怖い目つきも合わせ、威圧感抜群だ。 「で、どうしたんだよ」 「へへっ。察しがいいねぇ」 「お前が考えてることぐらい分かるわ」 だから先ほど彼女にも付き添ってやれと送り出してくれたわけだ。 恐らく近くのコンビニに行ってるはずだから、あまり時間がない。 回りくどくいかないで、さっさと用件を話してしまうことにした。 「お前には伝えておくわ」 「なにを?」 「俺、大学辞めるわ」 流石に親友も予想していなかったようで、目を見開いて口を開けっ放しになり、整った顔がマヌケに見える。 何て言っていいか分からず、言葉をさがしているようだったからその隙をついて一気に話してしまうことにする。 ヘタに質問されたら時間がかかるしな。 「俺さ、思い出したんだ。したいことっつーか、やらなきゃいけないことを」 「やらなきゃいけないこと?」 「あぁ。ミュージシャンになろうかなーって」 「それと大学辞めるのとどう関係してるんだ? 大体、音楽なら今までも……」 「違う。そうじゃないんだ」 親友の言いたいことも分かる。 でも俺がミュージシャンになるのは純粋な想いからじゃない。 ただ、親との約束……音楽は両親に出会うたった一つのツールだから。 でもそのことはなるべく言わないでおきたいから、それらしい理由を並べてみる。 「今まで何をするにも中途半端だった。本気でやると決めたからにはそれ一本じゃないと多分、俺やっていけないんだと思う」 「だから大学辞めるのか?」 「まぁね。お前らにも依存してきたようなもんだし、一人で頑張ろうかなって」 「はぁ!?」 クールにしていた親友も声を荒げた。 しかし、俺もこれにはちょっと驚いた。 そんなことで怒ると思っていなかったから。 それでも落ち着いて話そうと一呼吸置いて聞いてきた。 「お前さ、それだけで俺が……いや俺たちが納得すると思ってるのか?」 親友が怒ったのも、言った後で気づいた。 依存とか、そんなんで今まで一緒にいたわけじゃない、そう言いたいんだろう。 俺が逆の立場で親友とかが一人で頑張るとか言ったら怒ってたかも知れない。 「……わかったよ。お前には全部言うよ。だから奈々たちには……」 「……内容次第だな」 出来れば今までの誤魔化しで納得して欲しかったが、どうやら無理のようだから両親の件も話すことにした。 親友も両親がいない身。俺と違って亡くなったのだが、そういう意味じゃ少しは納得してくれるだろう。 そう期待し、親友に全て伝えた。夢で見た記憶の一部を。 やっぱり音楽をやり始めた……ギターを手に取ったのも偶然じゃなかったって思う。 頭が、体が、どこかで覚えていて自然と動いたんだろう。 なぜ、俺が今更、ミュージシャンを目指すのか。 両親に会いたいっていう純粋な想いというと少し違う。そりゃ会って本音を聞きたいから探し出したいのは本当のことだが。 それでもその両親が言っていた『音楽は人を幸せにできる』って言葉。 人生適当に生きているこんな俺が作った曲でも一人の心でも動かせるのなら、俺はこの道を選びたいって昔のことを思い出したら、自然と思えるようになった。 やっぱり夢だけ追い続けた両親と同じ血が流れているだから、そういう考え方になっちゃうんだろうな。 「だからさ、俺……両親と同じ道を選ぶ。会って、本音聞いて殴ってやりたいから」 「……まぁ、昔から意外と頑固だしな。お前ってさ」 話を黙って聞いてくれた親友が発した第一声がこれだった。 微笑しながら呆れているようだった。 それに釣られ、つい笑みがこぼれてしまったが、急に親友の顔がマジになった。 「お前が決めたことなら俺は何にも言わない。でもな、奈々ちゃんとはきちんと話しろ」 「お、お前さ……俺の話……」 「永吾がどう思ってるかは知らんが、奈々ちゃんとはつきあってるんだろ? 自己清算出来ないやつが夢叶えられるわけないだろ」 俺の言葉を遮り、一方的に言葉を並べてくる。 まぁさっきは俺がやっていたし、お互い様なわけだけど。 ただ奈々とそういう話をするのが嫌だから、親友にだけ話して去ろうと思ったんだが…… それでも言っていることは最もだと思うし、嫌なことから逃げてるだけじゃ何も解決しないってことも分かってる。 今まで自分で決めることを恐れ、面倒くさくなり友人たちに依存してその通りにしてきただけだから。 変わるためにも奈々とはきっちり話しておかなきゃいけないんだろう。 「それにな、永吾」 「ん?」 「今、お前が奈々ちゃんに言わずに去ったら、お前は両親と同じことをすることになるんだ」 「なっ!?」 「違うか? 話を聞く限りその通りだと思うけどな」 確かに考えれば言っている通りだ。 夢だ、何だって自分のことしか考えず、置いていかれる身にならない。 あんな寂しい思いはもうしたくない……なのにその被害者となった俺は新たに被害者を作るところだった。 「……サンキュ。目が覚めた」 「いいよ、別に。あぁ後、携帯は変えるなよ。連絡ぐらいつく状態にしとけ」 「……了解」 話を終えるような切り口に疑問を持ったが、玄関から聞こえてくる物音で察しがついた。 アイスを買いに出ていた二人が帰って来たらしい。 どうやら親友は彼女と一緒に部屋を後にして、奈々と話をさせるつもりのようだ。 「お待たせ。少しは良くなった?」 「あぁ、ありがと奈々」 「な、何よ……珍しいわね」 奈々が言った珍しいで、普段から憎まれ口しかたたいてないんだなと深く思った。 男って別れる直前が一番優しくなると言うが、今自身がその立場に立ってそれが痛いほど分かった。 それはやっぱり、相手のことを想っているからもあるんだろう。 特に俺の場合は嫌いで別れようとしてるわけじゃないし…… 「さて、と……そろそろ行くか」 さっさといなくなろうとしている親友がいる間に言おうとしている言葉を並べておこうと考えていると、帰って来たばかりだというのに彼女を連れてもう出て行こうとしている。 しかも、それだけでなく…… 「奈々ちゃん、永吾が話しあるみたいだから聞いてあげて」 見事なトスを上げて、戸惑っている彼女を半ば強引に引っ張り部屋を後にした。 ここまで来たら悪魔だ。 これで出て行ってからでも無駄な雑談を繋ぎつつ考える方法までも潰されてしまった。 現に奈々がもう、聞く体勢に入っているし…… 「なに、話って」 「まぁ……なんだ。その……」 一発目、何て言っていいか分からず誤魔化してはみるが、ここで先延ばしにしたら言えない気がして覚悟を決めて言ってしまうことにした。 後は野となれ山となれ状態だ。 咳払いをいれて、奈々と正面に向き合って正座した。そして頭を下げ切り出した。 「奈々、俺と別れてくれ」 「…………えっ?」 顔は見えないが、声だけで呆気にとられていることがよく分かる。 誤解はされたくないから、親友の時のようにまず一方的に喋り倒すことにした。 切り返されるのはやっぱり得意じゃないから。 「最初に言っておくが、俺の問題なんだ」 「……どういうこと?」 大学を辞めてミュージシャンを目指すということを、親友に言ったのを更に簡潔にした。 もちろん両親の件は一切触れずに。 その間、奈々は適度な相槌を入れるも何も言ってこなかった。 「だからさ、バカな夢にお前を付き合わせたくないんだ。だから別れて欲しい」 「嫌よ! 大学辞めるかは勝手だけど、何で別れるの!?」 「だからお前を付き合わせたくないんだ。もっともまともな男と幸せになって欲しい」 「そんなの勝手すぎるよ!」 感情が溢れ、俺の胸をポカポカと叩いてきた。 物理的にはまったく痛くないが、心理的に痛みが走った。 どうすることも出来ず、奈々が落ち着くまで黙って叩かれていたが、段々と少なくなっていき、手が俺を叩くためでなく自分の涙を拭く役目に変わった。 涙を抑えようとしている奈々の頭を撫でて、落ち着かせる。 こうなった以上、きちんと話さないと後味も良くないし、ずっと気にし続けることだろう。 親友に言われたとおり、ちゃんと清算しようと思う。 それが二人のためなんだろうから。 「落ち着いたか?」 「うん……ゴメン」 すっかりしおらしくなってしまった奈々に自然と笑みがこぼれる。 今なら話しが出来るだろうと思い、何から話そうか考えていると奈々が先に口を開いた。 「永吾は私のこと好きで付き合ってくれてたんだよね?」 「ん? まぁ……な。どこが好きかって聞かれると悩むけど」 「あ――! 酷くない?」 「けどさ、今何となく分かったよ。お前と付き合ってきた理由」 「え?」 「奈々ってさ、俺の母親に似てる気がするんだ」 別れるのがめんどくさいとか言ってたけど、言動とかちょっとした仕草とかガキの頃見ていた母親に似ている。 だから無下に出来なかったんだ。 ただ奈々は俺の両親のこと知らないから、不思議そうな顔をしていた。 「永吾のお母さんって?」 「あぁ、ガキの頃、俺のこと捨てた。だから記憶はガキの頃だけ」 「そうなんだ……」 「実はさ、ミュージシャンになるのも両親を追いたいからなんだ」 言う気はなかったんだが、話の流れでつい言ってしまった。 言ったこと自体には後悔していない。 だが、奈々はやっぱり奈々で、最初に惹かれた明るく前向きな女性だった。 「だったらさ、一緒に頑張ろうよ。一人じゃ辛いよ。そんな果てない夢を追うなんて……」 「奈々……」 普通だったら勝手にすればと出て行くところだろう。 普段の性格とは裏腹に健気な部分も見せる……こんな娘に想われるなんて俺は幸せ者だな。 だけど、そんな奈々に甘えてはいけないんだ。 そう思うのと同時に何も出来ない、してこなかった自分への黒い気持ちが現れてきた。 「そういうさ、ところが重いんだよ」 「えっ?」 「悪いけど、もうお前と付き合っていくのも疲れたんだ。一人にしてくれ」 こう突き放すのが奈々のため……そう自分に言い聞かせた。 そうじゃないと自分の思いに自分が壊れてしまいそうだったから。 「それ、本音?」 落ち着いていた奈々の瞳にまた薄らと涙が溜まっていた。 見てると慰めたくなる自分に気づき、腕を組み視線を逸らした。 「あぁ。お前のわがままにはもう付き合いきれないんだ。分かったらもう出てってくれ」 冷たく鋭い言葉の刃を奈々に突き刺した気分だ。 刃物でついた傷はいずれ消えるが、言葉の刃でつけた傷は一生残る。 俺は奈々に取り返しのつかないことをしているのも重々承知だ。 それでも……それでも将来、奈々のためになると信じてる。 奈々なら乗り越えて、また別の男の隣で笑っていられると。 俺の言葉を受けた奈々が涙を堪えて、すっと立ち上がった。 これで全て終わったんだ……そう思った時だった。 「永吾、私信じてるから」 「――ッ!?」 それだけ言い残し、奈々は部屋を去っていった。 あれだけ刃を突きつけた俺に対して、信じてる? 「バカな女だよ……お前は」 誰もいない部屋で一人呟く。 いっそ、俺のことを軽蔑し突き放してくれた方が楽だったかも知れない。 何とも言えない想いが胸を締め付け、自然と涙が溢れてきた…… やっぱり人との別れって辛いだけで良いことないな、過去の自分と照らし合わせ改めてそう思った。 ◇ 翌日、早速退学の手続きをしに大学へ行った。 奈々たちに会わないように、講義の時間を狙った。 昨日の今日じゃ格好つかないし、何より気まずいに決まってるからな。 機械的な手続きを終えて、部屋に戻り準備していたギターと衣類が入ったバッグを手に取った。 家具類は全部部屋にあったやつで、自分の物は衣類ぐらいだ。 最後に大家に挨拶をし、一年間暮らした部屋を後にした。 別にすることが決まってるわけじゃないが、決めた以上立ち止まってるのも嫌だ。 今までに作った曲もあるし、路上ライブの経験もある。 当面は曲を作りつつ、路上ライブのくり返しだろう。 それでミュージシャンになれるかって言うと難しいのは分かってる。 でも、だからって何かしなければ始まらない。 いい加減、足踏みしている自分にも嫌気が差したし、ひとまず考えないで歩んでみようと思う。 「後は野となれ山となれってね」 適当に場所を決め、早速ギターを弾き始める。 俺は…… 印象に残る曲を作る――――道行く人の耳に入るように。 俺は…… 伝えたい想いを詩にする――――両親の目に止まるように。 俺は…… 夢をこの手に歌い続ける――――いつの日か君に届くように。 −あとがき− 某所の投稿小説の大会のような催しの時に投稿させてもらった小説第2弾です。 あんまりあとがきとして書くことが思いつかないんですが…… とある歌の小説化というより、「うた」をメッセージにするということをコンセプトに書き、それを最後の数行に凝縮したつもりです。 多くの人に好かれるような歌を書く上で特定の人物へメッセージを送る……その数行のためにそのために偉く遠回りした感はありますが、現段階では自分ではこれ以上書けないかなって感じには書きました。 しかしお題使うのが改めて苦手だなと思わされました…… では読んでくださった方、いらっしゃいましたらありがとうございました! |